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先週のブログにも書いた通り、
15日はお墓参りに行ってきました。
この夏、唯一の休みです。

ごく、個人的な意見を述べさせてもらえれば、
お墓参りというのは「癒し」だと思う。

自分のご先祖様と静かに、真摯に向き合う。
そして、自分自身とも向き合う。
その時だけは、誰にも見栄や嘘をつくことはできない。
しっかりと、自分を自分で見つめることができる。
とても貴重な時間だと思う。

例えば、あなたが何かに悩んでいたりしていたとしたら、
お墓をお参りすることによって、あなたの心はきっと少し軽くなる。

そんなお墓だけれども、
大都市圏ではお墓不足が深刻な状況になろうとしている。
超高齢社会の行き着く先は、お墓が足りない社会。
お墓は亡くなった方の「家」
それが足りないというのは何とも悲しいことだと思う。

僕が住む横浜市でも、
平成26年までに
960,000ものお墓が足りなくなるというレポートがある。
単純に計算しても東京ドーム6個分くらいの面積が必要になる。
これはどうにかしなくてはならない社会問題のひとつだと思う。

お墓にはご先祖様と自分を結びつけるだけではなくて、
人と人、人と地域を結びつける力があると思っている。
地域のコミュニティの核となりうる存在だと思う。

どうしても敬遠されがちだけれど、
住宅地の真ん中に霊園があっても良いとさえ思う。
お墓はみんなのご先祖様の家であるし、
また、いつかは誰もがお世話になる家だと考えれば、
なにも敬遠する理由はない。

子どもの遊び場になったり、
地域の方々の散歩コースになったり、
公民館や集会場の代わりになったり。

そんな霊園を実現させるためには、
発想を逆転させなくてはならない。

つまり、超高齢社会ということは少子社会である。
少子社会では小学校の数が減る。
結果、廃校になる小学校が増える。
その廃校になる小学校を霊園に転用すれば良い。

小学校はだいたいにおいて、
地域のコミュニティーの中心であり、
みんなの憩いの場でもあり、
子どもたちの遊び場でもある。

それがそのまま、お墓になる。

人々の笑い声と日常が存在する霊園。

さて、
実際に企画書を書いて横浜市議会議員さんに提案したんですけど、
どんなものでしょうね。

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