いま、あの場所は
2011.11.14|週末に友人の結婚式に出席してきた。
それはそれは本当に感動的な式で、
2次会も含め、
たっぷりと幸せのお裾分けをもらって帰路についた。
土曜日の空いている電車内の中で、
座席に座りながらうとうととしていたとき、
ふと、地元の銭湯って今どうなっているんだろう?と思った。
なんでそんなことを思ったのかは分らないけれど、
駅から徒歩3分でいけるその銭湯は、
今も変わらずにあの場所にあるのだろうかと、すごく気になった。
一度気になってしまうと、思考はとまらなくなってしまった。
もとからの荷物と引き出物で両手が塞がってはいたけれど、
しかも慣れないスーツ姿ではあったけれど、
今夜、あの銭湯に行かなくてはと、
その存在を確かめなくてはと、
改札を出ると、事務所とは反対の方向にある銭湯を目指して迷わず歩いていった。
地元の駅周辺は、
数年前から本格的に始まった再開発の工事のおかげで様相を変えていた。
当然、駅から徒歩3分という立地にあるその銭湯も、
再開発の影響を受けている可能性がある。
そんなこといままで、まったく思いもよらなかったけれど、
よくよく考えてみると、なくなってしまっていてもおかしくはない。
前のめりなりながら小さな通りを歩いていって、
東海道に出たところで右にまがる。
200m先に蛍光灯で白く光っている看板がぼんやりとみえた。
そこに書かれている文字までは判別できないけれど、
見覚えのある看板だった。
歩調をゆるめて、近づいていくと、
銭湯はちゃんと、その場所にあった。
なんだか少しドキドキしながらのれんをくぐる。
男湯が右で、女湯が左。
錆のついたよく小学校でみることができる傘立て。
立て付けの悪い靴箱は当然のごとく、木製のやたらでかい鍵だった。
番台にすわっているおじいちゃんは、ゆっくりと動く。
「大人、あとタオルとせっけんもください」
と伝えると、5秒くらい間があってから
「あー、はいはい」とタオルに手をかける。
タオルだけ渡されて「えーっとお代は」と言われたので、
「すいません、せっけんも」ともう一度言ってみる。
するとまた5秒くらい間をおいて
「あー、ちっちゃい方ね」とむき出しのせっけんを渡してくれた。
「480円」と言われて料金表をみると、大人は450円だった。
タオルとせっけんが30円のはずはないと思った。
ただ、どこにもタオルの値段もせっけんの値段も書いていなかった。
きょろきょろしてたら「あー、480円」ともう一度いわれたので、
とりあえず1000円札を財布から引っ張りだして支払ってみた。
おつりはなぜか620円だった。
手のひらに貨幣を並べて見せながら「おつり多いですよ」と言うと、
おじいちゃんは5秒くらい間をおいてから、100円玉だけとっていって、
そのかわりにロッカーの鍵を僕にくれた。
やっぱりタオルとせっけんで30円らしかった。
脱衣室をぐるりと見渡してみると、数年前とほとんど変わっていない。
もちろん、数年前の記憶なんてあやふやなのだけれど、
そこにあるもの全てが等しく古びていて、新しいと思える要素はなにひとつなかった。
番台のすぐそばに貼られている大相撲の番付でさえ、
横綱の欄には「曙」と書かれていた。
両手にもった荷物をぎりぎりロッカーへいれて、
空いた隙間をなんとか工面して丁寧にスーツをたたんでいれた。
本当にガラガラガラという音がするアルミ製の引戸をあけて浴室に入ると、
ちゃんと富士山と海と松の絵が出迎えてくれた。
やたらと富士山が大きく描かれている伝統的な銭湯なのだ。
床のタイルと同じ、くすんだ水色のお風呂椅子と
やっぱり黄色い桶をとって、洗い場に座る。
お客さんは僕をふくめて5人しかいない。
白髪のおじいちゃんと、幼稚園生くらいの兄弟とそのお父さん。
おじいちゃんは僕と入れ違いに脱衣室へと消えていき、
お父さんはなかなか湯船に入ってくれない兄弟を
なんとか捕まえようと必死になっていた。
体を洗って湯船に浸かっていると、
同じ浴槽に兄弟がはいってきて、
お父さんにあと30数えたらでていいよと言われて、
元気な声でいーち、にー、と数えだした。
弟の方は30を数えるまでに
じゅうななとにじゅうさんが2回あったけれど、
無事に数え終えて3人で脱衣室へと向かっていった。
僕はさらに30秒ゆっくりと心の中で数えてから、
富士山に背を向けて湯船からあがった。
銭湯での湯上がりは瓶にはいっている乳製品を飲む
というのが日本のルールなわけだけれど、
フルーツ牛乳がなかったことに、すごいショックを受けた。
そんなばかなと思いながら、普通の牛乳を手にした。
番台のおじいちゃんに牛乳をみせると、
やっぱり5秒くらい間をおいてから「110円」と言ってくれた。
まだ少し汗がひいていなかったけれど、銭湯を後にした。
のれんをくぐって、空を見ると
ちょうど十六夜の月が雲の切れ間から顔をだしたところだった。