ブログ

週に1度しか更新しないにもかかわらず、
いつもいつも、多くの方に読んでいただいていて、
本当にうれしく思っております。

北は北海道から南は沖縄まで、
わざわざ僕の文章を読みにきていただけている事に、
本当に恐縮というか、身に余る気分です。

秋山立花はフットワーク良く、
全国どこでも飛んでいきますので、
建築のご相談がございましたら、ぜひともお声がけください。

さて、時折ですが、このブログ。
「建築の方のブログなのに写真、少ないですよね」という声をいただきます。
まったくもって、その通り。
これについては完璧に僕の怠慢であり、申し開きもできません。

ということで、今回は写真を掲載することにしました。

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この写真
僕の家と事務所の間にある、擁壁を撮影したものです。
ほんとうに「ただの擁壁」です。
特別なところはどこにもありません。

先日、この擁壁をじっと見てみました。
年期のはいったコンクリートの色、そこからたくましく芽吹く植物。

ずっと、見ているとなにやら「禅の庭」を鑑賞しているような気分になります。
何か、生命の深淵がそこに表現されているようだなと。

すれ違う人々から、変な目で見られながらも、
30分ほど、じっと考え込みながら見続けていました。

みなさんはどう思われますか?

だからなんだと言われると、
すいません。何のオチもありません。
と言うしかないのだけれど。

先週の火曜日は4回目の81年会だった。

昨年の10月に、たまには「タメグチ」で飲みたいよねっていう
単純な理由から1回目を開催してはや半年。
最初は10人程度だった参加者も、
あれよあれよと増えて60人を超えるまでになった。

独立して頑張っている人や、これから独立したいっていう人。
立場や職業は様々だけれど、同年代で集まるっていうのは本当に楽しい。
みんなよほど、タメグチで飲みたいんだな。と思う。

たまに間違われるのだけれど、この81年会の主催者は僕ではない。

僕はあくまでも「言い出しっぺのひとり」であり「第1回目の幹事」であるに過ぎない。
幹事を決めるのはその前の幹事ということになっているので、
僕がやったのは2回目の幹事を他の人に頼んだというところまでである。
3回目も4回目も、もちろん5回目も僕は幹事ではない。

というわけで、全然僕は主催者じゃない。
じゃあ、誰が取り仕切っているのか。
と言われたら、答えは「誰も取り仕切っていない」となる。

不思議に聞こえるかもしれないけれど、本当のことだ。

81年会というのは参加しているみんなの思いが集まってできた会である。
みんなが自分で考えて、自分で行動するので、
特に仕切る人間がいなくても、成り立ってしまうのである。

ようは、僕がしたことは「種まき」だけだ。

僕が種をまく。
いろいろな人がいろいろな思いで水をやる。
そこから多様な植物が芽をだす。
みんなでそれを育てる。
実ができたら、みんなでそれを収穫する。

僕は種をまき終えれば、完全に「みんなの中のひとり」になる。
僕が言いだした事、僕のやりだした事が
僕の存在を超えて「みんなのもの」になる。
これは本当に素晴らしいことである。

なぜなら、建築も同じ事だから。

僕が設計する。
みんなでそれをつくる。
出来上がったらみんなでそれを喜び、
お客さんに引き渡す。
それが住宅であれば、お客さんがその建築を育てていくことになるし、
公共の物件なら、その建物を使用する多くの人が、その建築を育てていく。

汗を流しながら必死になって土を耕し、適切な位置に適切な種を植える。
それが僕の仕事なのである。

僕の名前は「種を植えた人」という称号のもと、後世に残るかもしれない。
あるいは、早い段階でそんなことは忘れ去られてしまうかもしれない。
はっきりいって、どちらでも構わない。

その植物が大きく育ち、多くの人に愛され、
多くの人に実りの恵みを与え続けてくれさえすれば。先週の火曜日は4回目の81年会だった。

昨年の10月に、たまには「タメグチ」で飲みたいよねっていう
単純な理由から1回目を開催してはや半年。
最初は10人程度だった参加者も、
あれよあれよと増えて60人を超えるまでになった。

独立して頑張っている人や、これから独立したいっていう人。
立場や職業は様々だけれど、同年代で集まるっていうのは本当に楽しい。
みんなよほど、タメグチで飲みたいんだな。と思う。

たまに間違われるのだけれど、この81年会の主催者は僕ではない。

僕はあくまでも「言い出しっぺのひとり」であり「第1回目の幹事」であるに過ぎない。
幹事を決めるのはその前の幹事ということになっているので、
僕がやったのは2回目の幹事を他の人に頼んだというところまでである。
3回目も4回目も、もちろん5回目も僕は幹事ではない。

というわけで、全然僕は主催者じゃない。
じゃあ、誰が取り仕切っているのか。
と言われたら、答えは「誰も取り仕切っていない」となる。

不思議に聞こえるかもしれないけれど、本当のことだ。

81年会というのは参加しているみんなの思いが集まってできた会である。
みんなが自分で考えて、自分で行動するので、
特に仕切る人間がいなくても、成り立ってしまうのである。

ようは、僕がしたことは「種まき」だけだ。

僕が種をまく。
いろいろな人がいろいろな思いで水をやる。
そこから多様な植物が芽をだす。
みんなでそれを育てる。
実ができたら、みんなでそれを収穫する。

僕は種をまき終えれば、完全に「みんなの中のひとり」になる。
僕が言いだした事、僕のやりだした事が
僕の存在を超えて「みんなのもの」になる。
これは本当に素晴らしいことである。

なぜなら、建築も同じ事だから。

僕が設計する。
みんなでそれをつくる。
出来上がったらみんなでそれを喜び、
お客さんに引き渡す。
それが住宅であれば、お客さんがその建築を育てていくことになるし、
公共の物件なら、その建物を使用する多くの人が、その建築を育てていく。

汗を流しながら必死になって土を耕し、適切な位置に適切な種を植える。
それが僕の仕事なのである。

僕の名前は「種を植えた人」という称号のもと、後世に残るかもしれない。
あるいは、早い段階でそんなことは忘れ去られてしまうかもしれない。
はっきりいって、どちらでも構わない。

その植物が大きく育ち、多くの人に愛され、
多くの人に実りの恵みを与え続けてくれさえすれば。

昨年度の『理念』に引き続き、
今年度版の事務所小冊子が完成しました。

今回は『物語』という題です。

何においても、僕は物語にとても強く惹かれます。

物語は何も小説の中だけにあるものではありません。
この世界に存在する全てに、物語はあります。
人間にも、物にも、植物にも、動物にも。

そしてもちろん、建築にも。

人々に長く愛される建築には、
すべからく素敵な物語があります。

僕は、建築家として
「いかに素晴らしい物語を描く事ができるか」
ということにこだわっていきたい。

そんな思いで、今回の小冊子を作成しました。

ご興味がありましたら、
是非、秋山立花までお問い合わせください。
無料で送付させていただきます。

ふと、自分が心から笑っているとき、
どんな顔をしているのだろうと考えた。
僕の笑顔はまわりからどんな風に見られていて、
どんな風に感じられているのだろうかと。

4月15日に81年会の仲間のひとりが運営する託児所で、
3歳~6歳くらいのこどもたちを対象にした、
和紙照明のワークショップをおこなった。

手のひらサイズのちいさなちいさな照明を
色とりどりの和紙でおおってあげて、
ちいさいけれどやさしくてあたたかい和紙照明をつくるワークショップだ。

参加してくれたこどもたちは、
思い思いの照明をつくっていって、
完成して灯りが灯ると、とても喜んでくれた。

ワークショップの時も、ワークショプを終えて一緒に遊んでいる時も、
こどもたちは体いっぱい使って、全力で遊んでいた。
そして、本当に素敵な笑顔をみせてくれた。

そんな笑顔をみていると、心の底から幸せな気持ちになれた。

それで、ふと考えたのである。
自分の笑顔は、こどもたちの笑顔と同じように、
他の誰かをすこしでも幸せな気持ちにしているかなと。

もちろん、考えても答えなんて分かりはしない。

けれど、
僕のまわりの大切な人たちが幸せな気持ちになれるような、
素敵な笑顔ができているかどうか、
常に自分に問いかけてみるということには、
何かしら、意味があるように思う。

まずは、お知らせを2点。

ホームページを更新しました。

2月に行われた
『ECO SOCIAL ART EXHIBITION 2011 spring 山梨発エコブランド展』
に出展していた間伐材で作ったスツールを「実績」加えました。
森をそのまま凝縮したようなこのスツールは、
木が持っている本来の香り、色、さわり心地、重さをダイレクトに感じる事ができます。

受注生産できますので、ご興味のある方は秋山立花までご連絡ください。

次に「81年会」の仲間がホームページの制作で、
東京里帰りプロジェクト』に携わりました。
被災地にいる妊婦さんに、東京に来てもらって、
安心して産前産後の期間を過ごしてもらおうという運動です。
少しでも多くの方に知っていただきたいので、ご紹介させていただきます。

さて、昨日は鎌倉へ散歩に出かけました。

若宮大路から鶴岡八幡宮の境内に入り、
東に折れて清泉小学校の方まで歩いて、Uターン。
途中、頼朝のお墓にお参りなどしながらまた、若宮大路へ。

歩き始めたのが夕方からだったので、
若宮大路に戻るころには、空の色が時々刻々と変化をしていました。

一面を覆っていた白灰の雲が、すぐに鮮やかな青色に染めあげられ、
青はゆっくりと深みを増していき、藍へと変わる。
空の色がもっとも美しい時間帯ですね。

若宮大路では最後の参拝を目指して八幡宮に急ぐ人たちの流れと、
桜を愛でながらゆったりと駅へ向かう人たちの流れが混じりあっていました。

僕は双方の流れにさからって歩を止め、
暗くなってきたおかげで昼間よりも彩度が増したように見える桜の花びらと、
空の青さとのコントラストを心行くまで楽しんでいました。

しばらくすると、雲間から三日月が顔を覗かせ、
青と藍のはざまにふわりと浮かび、桜の花びらをほのかに照らします。

空と月と桜の美しい組み合わせ。

気が付くと、人々はみな僕と同じように上を向いていました。
若宮大路の流れが、まるでその美しさに敬意を示すように、そっと止まっていたのです。

ひとつの花が、これほどまでに人々を魅了する。
桜というのは本当に、不思議な木ですね。