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梅雨が明けて、例年よりも早い夏入りとなりました。
なんだかどんどん夏が長くなっていくような感じですね。

夏と言えば、高校野球。
球児たちの熱戦には多いに期待しているのですが、
この異常なまでの暑さには十分気をつけてもらいたいものです。
今週14日には僕の母校である、横浜平沼高校も初戦を迎えます。
初戦突破を目指して、頑張ってほしいですね。

さてさて、今回も冒頭から建築とは関係ないことから始まったこのブログ。
多くの方々から、
「そういえば、建築のことってあまり触れてないよね」
という鋭い指摘を頂戴致します。

建築家のブログと言えば、
進行中のプロジェクトを紹介していくというのが定番のようです。
お客様にプレゼンするところから始まり、
打合せ過程や、現場の様子などなど。

確かにこのような形式は、
ブログを見る方にとっても分りやすく、見やすいと思います。
建築家サイドとしても自分の仕事を常に紹介できるので、
メリットもあるでしょう。

しかし「個人邸」のプロジェクトに関しては、
僕は断固として、やりません。

打合せの過程や、現場の進行具合はお客様の「個人情報」なんですよね。
たとえ、お客様からご了承いただけたとしても、
それをおおっぴらに誰もが見れる状態にするというのが、
個人的にとても気になるのです。

特に現場の写真なんて色々な情報が満載。
それが公開されることによって、
万が一でもお客様に不利益がないと言いきれるだろうか。
僕はちょっとそこまで自信がないですね。

僕ら建築家が第一に考えなくてはならないのは、
当然のことながら「お客様」のことです。
なので、僕個人の考え方としては、
個人宅のプロジェクトの場合、
進捗状況の公開は今後もやることはないです。

そのかわり、と言うわけでもないんですが、
秋山立花は「お客様には徹底的に情報公開」します。

秋山立花の現場監理の期間、
平均すると30~40回の現場監理報告書を提出します。

僕の知る限りで言えば、他の事務所は1回。
多くても4~6回くらいではないでしょうか。
まさしく桁が違います。

現場監理報告書には、現場の写真とともに、
「今現場で何が起こっているのか」
「秋山立花と工務店の間で何が話し合われたか」
「問題が起こった場合はその対処をどのようにしたか」
「お客様との現場打合せで何が決められたのか」
などなど、現場監理中に起こったことを記します。

この現場監理報告書を逐次、お客様に提出することで、
お客様に「現場の今」を正確にお伝えすることができます。

さらに最後のお引き渡しの時には、
今までの全ての現場監理報告書を製本してお渡しします。

例えば50年後、100年後にリフォームをしたいなと思った時、
この家がどのようにして作られ、内部がどのようになっているのか。
ということが現場監理報告書から詳細に知る事ができるのです。

僕が目指しているのは、
100年、200年と住み継がれていく家を設計することなので、
それは本当に重要なことです。

現場監理報告書とは
お客様と現場の今を共有する重要なツールであり、
また将来に渡ってお客様の財産となるものなのです。

というわけで、
このブログ上では現場の状況を公開することはありません。
それは全て、その家のお客様だけにお伝えしています。

なので、このブログは今まで通り
「建築のことがあまりでてこない」建築家のブログとして、
気ままに継続していきます。

そんなブログですが、
どうかこれからもおつきあいいただければ幸いです。

今回は秋山立花の事務所の風景を一部、ご紹介したいと思います。

夏も間近ですが、秋山立花ではエアコンを付けていません。
僕が大のエアコン嫌いということもありますが、
しっかりと風が通るので、エアコンがなくても涼しいのです。

室温は30度近くありますが、体感気温はもっと低いと思います。

さらに、涼しさを感じさせてくれるのが、
この植物たち。

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窓際の明るい場所を占拠しています。

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事務所の中は常に木陰。

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この事務所を借りてから、自分で購入したり、
たくさんの方にお祝いとしていただいた植物たち。
すくすくと成長して、もはや森です。

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もっと植物を増やしていきたいのですが、
いかんせん場所の限りもあるために、
みんなから止められてしまいます。

個人的にはベリー系の植物を育ててみたいのですが。

涼しさを演出すると言えば、風鈴ですね。
こちらも窓際にいる、風鈴。
竹を炭にしたもので出来ています。
硬質で高音のカランコロンという音は本当に涼しく感じられます。
ガラスの音とはまた違う趣で、僕は好きですね。

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最後に、玄関でみなさんをお迎えするために、
毎日毎日薫きしめているお香。

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お寺に来たみたい。
おばあちゃんちの臭いがする。

などなどと言われることもありますが、
良い香りでお出迎えしなくてはと、今日も薫きしめております。

ちなみに、季節ごとに香りも変えていますので、
もし事務所に来られる時には、そんな違いも楽しんでみてください。

初めて、横浜の弘明寺に降り立った。
地下鉄の出口からでると、
そこは大きなアーケードのかかった商店街。

歩いて行くと、その活気にびっくりしてしまう。
こんなに元気な商店街が横浜にあったんだなと、
いまさらながら、自分の知識のなさに恥じいる。

古刹弘明寺の門前町がそのまま残って商店街になったのかと思いきや、
正式には戦後の闇市が発祥らしい。
もっとも、横浜最古とされる観音様なのだから、
戦前も大いににぎわっていたことだろう。

戦後の闇市が発祥といえば、
地元戸塚駅前の旭町商店街もそうである。

ただ、こちらは弘明寺とは異なり、
再開発によって今は残っていない。

商店街にあった店舗はその多くが
再開発された駅ビルの中に入居してはいるが、
もちろん「商店街」という雰囲気は微塵も感じられない。
ひとつひとつの店舗の佇まいは、
まるでサイズ違いの服を無理矢理着せられているように違和感がある。

どちらの方が歩いていて楽しいか、と聞かれたら、
間違いなく弘明寺の商店街だし、昔の旭町商店街だ。

もちろん、様々な理由と様々な要因があって、
現状に至っている訳だから、
一概に良い悪いを言う事はできないのだけれど、
残っているものと、もう消えてしまったものを考えると、
ひどくもったいのないことをしているのではないかと思ってしまう。

なにはともあれ、
弘明寺商店街は本当に歩いていて楽しかった。
時間があれば、一店一店じっくりと眺めながら歩いてみたい。

仕事の要件が終わった後に、観音様にお参りをして商店街を後にした。

髪を切りに行きたい。
月に一度はそんな衝動にかられる。

生まれてこのかたずっと短髪なので、
少し伸びてくるとすごく気になってしまうのだ。
できることなら、
2週間に一度のペースで切りにいきたいくらいである。

髪の毛の事と言えば、独立してからというもの、
「白髪、また増えたんじゃない?」
という言葉を良く頂戴する。

まったくもって、おっしゃる通りで、
僕の白髪は着実にその勢力圏を拡げていっている。
この勢いを維持すれば、
あこがれのロマンスグレーに、
30代のうちにたどりつけるのではないだろうか。

なんだかワクワクするようでもあるし、
本当にそれで良いのだろうかとも思う。
大変、難しいところである。

しかし、僕の白髪はなにゆえこんなにすくすくと育つのか。

理由は皆目わからないのだけれど、この白髪のおかげで、
「あぁ、秋山君は大変苦労しているんだな、偉いな」
と思われるので、なかなか悪くない。

ところで、ロマンスグレーって本当は
「ローマンティック・グレー」のことなんですね。
ローマ風のグレー。

ロマンチック街道は、
恋人同士が愛をささやきあうようなロマンティックな道というわけではなく、
「ローマンティック・ストレージ」つまりは古代ローマの街道を意味する。
と言うのと同じ原理なのだろうか。

「ローマ風のグレー」
なにやら語感はかっこいいのだけれど、
本来意味するところはさっぱりわからない。

今度、時間が有る時にじっくりと調べてみることにしよう。

大槌町ではいま、仮設住宅の建設が進んでいる。
計画では2000戸を建設するそうだ。
先週にはすでに完成している800戸について抽選が行われた。

この仮設住宅については、
抽選の決定方法が公表されておらず、不明瞭であることや、
当選者が避難所を離れず、入居をしないこと。
地域ごとの入居ではないため、親しい隣人と離ればなれになることや、
仮設住宅ごとに居住環境に差が大きいことなど、
すでに様々な問題が出ている。

とはいえ、7月には残りの1200戸が竣工するのであり、
全町民が仮設住宅に入居できる環境は、形の上だけでは整うことになる。

これは一つの大きな転換点だ。

「避難所」から「仮設住宅」に移るということは、
生活の多くの部分を支援や支給でまかなう事ができる状態から、
ある程度の自活を求められると言うことだ。

これは復興へ向かう一歩として、喜ばしいことではある。

しかし、大槌町は町の中心地が壊滅し、
また産業の柱でもあった漁業も再開の見込みが立っていない。
これが意味するところは、
自立した生活をして行くための仕事も無く、
日々の生活のための食料を買う場所も無いということである。

そのような状態で果たして、自活することができるだろうか。

その点をふまえて、
秋山立花は富士十字プロジェクトを通じ、
仕事と雇用に焦点を当てて、被災地の支援をして行きたい。

具体的な支援は現在のところ以下の3点だ。

『富士十字ファンド』

1、被災された、同年代の経営者、またはこれから独立起業する人に対して支援金を寄付する。
2、支援金は81年会、及び趣旨に賛同していただいた方から、1口1万円で集める。
3、集まった支援金は全額を支援にまわす。
4、支援先は、事業計画を提出していただき、面接の上決定する。
5、必要とあれば、81年会のメンバーが、経営の相談やサポートをする。

『雇用の創出』

パターン1、81年会のメンバー間で、被災地の方を共同で雇用できないか模索する。
パターン2、81年会のメンバーの中で共同して被災地に事業所を作り、
被災者を雇用できないか模索する。

『大槌町で野球をしよう』

避難所や仮設住宅生活が続くと精神的に疲れてしまう。
たまには思いっきり体を動かすことが重要だ。
野球道具を集めて大槌町へ行き、子供への野球教室と草野球の試合をする。
グラウンドは現在、自衛隊が駐屯しているので、開催時期は未定。

もちろん、81年会に来ている面々の中には
何百万、何千万という寄付金をだせる人はいない。
これらの支援策の効果も、本当に微々たるものだろう。

ただ、だからといって座しているわけにもいかない。
それぞれが協力することによって、
少しでも被災地の力になれるように頑張っていきたい。

富士十字プロジェクトは、
まさにこれから必要とされる支援だと感じている。
新しい動きがあれば、逐次、報告していきたい。