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「東日本大震災復興支援シンポジウム」
”被災者とともに考える私たちにできる支援とは?”
”岩手県大槌町の被災者の方を交え、今後の支援のあり方についての意見交換”

というシンポジウムに参加をしてきた。

今回の震災を当事者として実際に体験なさった方々のお話は、
やはり鬼気迫るものがあった。
メモを取りながら聴いていたけれど、
話を聴いている時も、後でメモを見返してみた時も、
にわかには信じがたいことが、語られ、書かれてあった。

シンポジウムが終わった後、大槌町の方を交え、
「避難所での仮設風呂設置の計画」の打合せと
「富士十字プロジェクト」の説明を行わせていただく機会に恵まれた。

避難所になっている小学校には、まだ仮設風呂がなく、
入浴をするのにも困難な状況が続いていると言う。
2週間ほど前にその話をお聴きしたので、仮設風呂の設計をしてきた。

現地では下水の処理能力が著しく低下しているため、
実際に設営が可能かどうかは難しいところだけれど、
仮設住宅が完備されるより早く、下水処理能力が復旧すれば、
すぐにでも設営に赴きたいとおもっている。

今回、資料とともに、軸組模型を持って行ったのだけれど、
それを見て「持ち帰ってみんなに見せてあげたい」
とおっしゃっていただけた事が、本当に嬉しかった。
(荷物になるにも関わらず、本当にもって帰ってくださった)

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仮設風呂軸組模型写真1

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仮設風呂軸組模型写真2

そして「富士十字プロジェクト」

これは81年会の有志で『81年生まれの経営者による社会貢献』をするために、
話し合いを重ねてきたプロジェクトだ。

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富士十字プロジェクトロゴ

今回、ご説明させていただいた中で、
僕らの考えていた
「顔の見える、継続した支援の形」と「現地が求めている支援」
の間には大きな差違がなかったのがまずは嬉しかった。

そして、僕らの行動に対して、
心から感謝の言葉をかけてくれることに、感動した。

かならず、この富士十字プロジェクトは
やり遂げなくてはならないし、やり続けなくてはならないと、
思いを新たにすることができた。

富士十字プロジェクトの詳細を書き出すと、
かなりの量になってしまうので、
具体的なことに関しては、また追って書きたいと思う。

ただ、ひとつだけ最後に言える事は、
僕は建築設計という、心から好きで、やりがいのある仕事に巡り会えた。
建築の設計事務所は「飯が食えない、稼げない」の代名詞のようなものだけれど、
それでも、僕はこの仕事に誇りをもっているし、続けて行きたい。

確かに金銭的には決して恵まれているとは言えないけれど、
そんな仕事ができているということで、僕は本当に恵まれていると思う。

恵まれている者は、その分、その恵を社会に還元しなくてはならない。
そのためにも、僕は富士十字プロジェクトをやらなくてはならないということだ。

週に1度しか更新しないにもかかわらず、
いつもいつも、多くの方に読んでいただいていて、
本当にうれしく思っております。

北は北海道から南は沖縄まで、
わざわざ僕の文章を読みにきていただけている事に、
本当に恐縮というか、身に余る気分です。

秋山立花はフットワーク良く、
全国どこでも飛んでいきますので、
建築のご相談がございましたら、ぜひともお声がけください。

さて、時折ですが、このブログ。
「建築の方のブログなのに写真、少ないですよね」という声をいただきます。
まったくもって、その通り。
これについては完璧に僕の怠慢であり、申し開きもできません。

ということで、今回は写真を掲載することにしました。

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この写真
僕の家と事務所の間にある、擁壁を撮影したものです。
ほんとうに「ただの擁壁」です。
特別なところはどこにもありません。

先日、この擁壁をじっと見てみました。
年期のはいったコンクリートの色、そこからたくましく芽吹く植物。

ずっと、見ているとなにやら「禅の庭」を鑑賞しているような気分になります。
何か、生命の深淵がそこに表現されているようだなと。

すれ違う人々から、変な目で見られながらも、
30分ほど、じっと考え込みながら見続けていました。

みなさんはどう思われますか?

だからなんだと言われると、
すいません。何のオチもありません。
と言うしかないのだけれど。

先週の火曜日は4回目の81年会だった。

昨年の10月に、たまには「タメグチ」で飲みたいよねっていう
単純な理由から1回目を開催してはや半年。
最初は10人程度だった参加者も、
あれよあれよと増えて60人を超えるまでになった。

独立して頑張っている人や、これから独立したいっていう人。
立場や職業は様々だけれど、同年代で集まるっていうのは本当に楽しい。
みんなよほど、タメグチで飲みたいんだな。と思う。

たまに間違われるのだけれど、この81年会の主催者は僕ではない。

僕はあくまでも「言い出しっぺのひとり」であり「第1回目の幹事」であるに過ぎない。
幹事を決めるのはその前の幹事ということになっているので、
僕がやったのは2回目の幹事を他の人に頼んだというところまでである。
3回目も4回目も、もちろん5回目も僕は幹事ではない。

というわけで、全然僕は主催者じゃない。
じゃあ、誰が取り仕切っているのか。
と言われたら、答えは「誰も取り仕切っていない」となる。

不思議に聞こえるかもしれないけれど、本当のことだ。

81年会というのは参加しているみんなの思いが集まってできた会である。
みんなが自分で考えて、自分で行動するので、
特に仕切る人間がいなくても、成り立ってしまうのである。

ようは、僕がしたことは「種まき」だけだ。

僕が種をまく。
いろいろな人がいろいろな思いで水をやる。
そこから多様な植物が芽をだす。
みんなでそれを育てる。
実ができたら、みんなでそれを収穫する。

僕は種をまき終えれば、完全に「みんなの中のひとり」になる。
僕が言いだした事、僕のやりだした事が
僕の存在を超えて「みんなのもの」になる。
これは本当に素晴らしいことである。

なぜなら、建築も同じ事だから。

僕が設計する。
みんなでそれをつくる。
出来上がったらみんなでそれを喜び、
お客さんに引き渡す。
それが住宅であれば、お客さんがその建築を育てていくことになるし、
公共の物件なら、その建物を使用する多くの人が、その建築を育てていく。

汗を流しながら必死になって土を耕し、適切な位置に適切な種を植える。
それが僕の仕事なのである。

僕の名前は「種を植えた人」という称号のもと、後世に残るかもしれない。
あるいは、早い段階でそんなことは忘れ去られてしまうかもしれない。
はっきりいって、どちらでも構わない。

その植物が大きく育ち、多くの人に愛され、
多くの人に実りの恵みを与え続けてくれさえすれば。先週の火曜日は4回目の81年会だった。

昨年の10月に、たまには「タメグチ」で飲みたいよねっていう
単純な理由から1回目を開催してはや半年。
最初は10人程度だった参加者も、
あれよあれよと増えて60人を超えるまでになった。

独立して頑張っている人や、これから独立したいっていう人。
立場や職業は様々だけれど、同年代で集まるっていうのは本当に楽しい。
みんなよほど、タメグチで飲みたいんだな。と思う。

たまに間違われるのだけれど、この81年会の主催者は僕ではない。

僕はあくまでも「言い出しっぺのひとり」であり「第1回目の幹事」であるに過ぎない。
幹事を決めるのはその前の幹事ということになっているので、
僕がやったのは2回目の幹事を他の人に頼んだというところまでである。
3回目も4回目も、もちろん5回目も僕は幹事ではない。

というわけで、全然僕は主催者じゃない。
じゃあ、誰が取り仕切っているのか。
と言われたら、答えは「誰も取り仕切っていない」となる。

不思議に聞こえるかもしれないけれど、本当のことだ。

81年会というのは参加しているみんなの思いが集まってできた会である。
みんなが自分で考えて、自分で行動するので、
特に仕切る人間がいなくても、成り立ってしまうのである。

ようは、僕がしたことは「種まき」だけだ。

僕が種をまく。
いろいろな人がいろいろな思いで水をやる。
そこから多様な植物が芽をだす。
みんなでそれを育てる。
実ができたら、みんなでそれを収穫する。

僕は種をまき終えれば、完全に「みんなの中のひとり」になる。
僕が言いだした事、僕のやりだした事が
僕の存在を超えて「みんなのもの」になる。
これは本当に素晴らしいことである。

なぜなら、建築も同じ事だから。

僕が設計する。
みんなでそれをつくる。
出来上がったらみんなでそれを喜び、
お客さんに引き渡す。
それが住宅であれば、お客さんがその建築を育てていくことになるし、
公共の物件なら、その建物を使用する多くの人が、その建築を育てていく。

汗を流しながら必死になって土を耕し、適切な位置に適切な種を植える。
それが僕の仕事なのである。

僕の名前は「種を植えた人」という称号のもと、後世に残るかもしれない。
あるいは、早い段階でそんなことは忘れ去られてしまうかもしれない。
はっきりいって、どちらでも構わない。

その植物が大きく育ち、多くの人に愛され、
多くの人に実りの恵みを与え続けてくれさえすれば。

昨年度の『理念』に引き続き、
今年度版の事務所小冊子が完成しました。

今回は『物語』という題です。

何においても、僕は物語にとても強く惹かれます。

物語は何も小説の中だけにあるものではありません。
この世界に存在する全てに、物語はあります。
人間にも、物にも、植物にも、動物にも。

そしてもちろん、建築にも。

人々に長く愛される建築には、
すべからく素敵な物語があります。

僕は、建築家として
「いかに素晴らしい物語を描く事ができるか」
ということにこだわっていきたい。

そんな思いで、今回の小冊子を作成しました。

ご興味がありましたら、
是非、秋山立花までお問い合わせください。
無料で送付させていただきます。

ふと、自分が心から笑っているとき、
どんな顔をしているのだろうと考えた。
僕の笑顔はまわりからどんな風に見られていて、
どんな風に感じられているのだろうかと。

4月15日に81年会の仲間のひとりが運営する託児所で、
3歳~6歳くらいのこどもたちを対象にした、
和紙照明のワークショップをおこなった。

手のひらサイズのちいさなちいさな照明を
色とりどりの和紙でおおってあげて、
ちいさいけれどやさしくてあたたかい和紙照明をつくるワークショップだ。

参加してくれたこどもたちは、
思い思いの照明をつくっていって、
完成して灯りが灯ると、とても喜んでくれた。

ワークショップの時も、ワークショプを終えて一緒に遊んでいる時も、
こどもたちは体いっぱい使って、全力で遊んでいた。
そして、本当に素敵な笑顔をみせてくれた。

そんな笑顔をみていると、心の底から幸せな気持ちになれた。

それで、ふと考えたのである。
自分の笑顔は、こどもたちの笑顔と同じように、
他の誰かをすこしでも幸せな気持ちにしているかなと。

もちろん、考えても答えなんて分かりはしない。

けれど、
僕のまわりの大切な人たちが幸せな気持ちになれるような、
素敵な笑顔ができているかどうか、
常に自分に問いかけてみるということには、
何かしら、意味があるように思う。