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先日とあるテレビ番組で、
仕事をする上で「勇気をくれた言葉」を特集していた。
なんとなしに見ていたのだけれど、
ふと、僕にとっての「勇気をくれた言葉」はなんだろうなと考えてみた。

しばらく考えてみたけれど、
どうも思い当たる言葉はひとつしかない。
それは小さい頃から、
幼稚園児だったころから母親に言われていた言葉だ。

「才能のない者は努力をするしかない(そしてお前には才能はない)」

家訓とまではいかないけれど、
これは秋山家にとって、鉄の掟のようなものだった。
兄弟全員がそう言われて育った。

才能があり、一芸に秀でているものはそれで飯を食っていける。
しかし、そのような人間は一握りである。
ゆえにその他多くの凡人は必死に努力をして、
自力で飯を食っていけるようにならなくてはならない。

ことあるごとに、そう言い聞かせられたのを覚えている。

まるで天使のように純真無垢であった幼稚園児(僕のことだ)にとって、
将来はプロ野球選手になるんだと夢想していた小学生(僕のことだ)にとって、
母親からくだされる「お前には才能は無い」という無慈悲な言葉は、
当時としてはちょっとした衝撃だった。
「いやいやそんなことはない!」
「なんと無体な!」
と、こどもながらに思っていた。

しかし、こうして成長してみると
「まぁ、そりゃそうだよな」と「母親は正しいよな」と思う。

こどもに対する教育として賛否はあるだろうけれど、
こどもの時からしっかりと現実の厳しさを教え込んでくれたおかげで、
僕はなんとかここまでやってこれていると思っている。

あの言葉があったからこそ、
努力をする意味というのを知ることができたし、
努力をすれば、なんとかなるものだということも実感として分かった。

努力するしかない、努力をすれば良い。
本当に単純で、まったくもって正しい言葉だと思う。

結局のところ、才能のあるなしというものは、
多くの場合、相対的なものなのではないだろうか。

ある人から見れば、僕は才能があるように見えるかもしれないし、
違う人から見れば、まったくもって才能がないように見えるかもしれない。

そうであれば、才能のあるなしをいちいち気にするのは無駄な事なのだ。
そんなことを考えている暇があったら、さっさと努力をすればよいのだ。

そんなわけで、今の僕を支えてくれている「勇気をくれた言葉」は
「才能のないものは努力をするしかない」です。

ホームページの「実績」を更新しました。

2月に講師をさせていただいた、
和紙照明のワークショップについてです。
レポートをダウンロードできるようになっていますので、
ぜひぜひご覧下さい。

→和紙照明についてのブログ「こどもたちと

また、多くの方々からご好評いただきました、
秋山立花の事務所小冊子「理念」も今週中には、
ホームページ上からダウンロードできるようにします。

合わせて、ご覧になっていただければ幸いです。

さて、
昨日、一ヶ月振りに髪をきりに行きました。
僕は生まれた時からずっと短髪です。
しかも人生の半分は野球をやっていたので、
人生の半分を坊主頭で過ごしてきたことになります。

一度も髪を長く伸ばしたことがないので、
一ヶ月もするときりたくてきりたくてしょうがなくなります。

伸ばしてみなよ、
とたまに言われる事もありますが、
そのような意見には耳も貸しません。

髪が短いとドライヤーも不要だし、
洗髪するときもシャンプー、水の使用量が少なくてすみます。
短髪こそ、もっとも「エコ」な地球環境型の髪型なのです。

とまあ、そんなことはどうでもいいんですが、
なんにせよ髪をきるっていうのは素敵ですね。
僕は大好きです。
頭も軽くなって、気分もすっきりします。

気分がすっきりすれば、仕事にも身が入ります。
このすっきりした気分のまま、
いつも以上に元気よく仕事をしたいと思います。

あの日から一週間以上が経ちました。
震災の爪痕はあまりに大きく、
多くの方々が過酷な避難生活を強いられていることと思います。
被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

今日は春分の日。
これから本格的に春を迎えます。
震災で大きなダメージを受けなかった僕たちができることは、
より多くの希望が芽生えるように、
より穏やかな春を迎えられるように、
支援を続けることだと思っています。

そこで、秋山立花としてもやれることをやります。
まずは第一弾として、

1、義援金として10万円を被災地に寄付いたします。
2、4月から1年間。2011年4月~2012年3月の間に、
建主さまからいただいた設計料の内、一定の割合を被災地に寄付いたします。
(復興の状況に応じて期間を延長します)

この2点を実施します。

また、震災復興のためには「継続可能な支援」が不可欠です。
第二弾として、
建築という仕事を通してはもちろんのこと、
81年会の仲間とも話し合いをして、
僕らができる「継続可能な支援」とは何かを見つけたいと思います。

秋山立花はまだ小さな事務所です。
秋山立花にもっと力があれば、被災地の復興に向けて、
より多くのことをやれたはずなのだと思うと、本当に悔しいです。

ただ、今できることをしっかりと行動に移して行くなかで、
秋山立花にできることが増えていくかもしれません。
僕はそう信じて、「継続可能な支援」のために行動し続けます。

被災地の一日でも早い復興のために、
あらゆる意味で震災前よりも豊かな地域となれるように、
微力かもしれませんが、秋山立花も力になっていきます。

今、外では太陽の光が優しくふりそそぎ、
春の穏やかな陽気に包まれています。
何もなければ、気持ちの良い一日で終われたことでしょう。

3月11日に起こった震災について、
言及しようかどうか悩んだのですが、
やはり、触れないわけにはいかないだろうと思い、
キーボードを叩いています。

すでに多くの悲劇的な言葉が語られていますが、
これから判明するであろう被害、
そして復旧への困難な歩みを考えると、
そのあまりの大きさに呆然としてしまいます。

被災地の方々のことを思うと、
いま、なにもしてあげられない自分が、
とても歯痒く、また悔しくもあります。

こんな時に自分がなにをできるのか。
考えるまでもなく、
それはやれることをしっかりとやること以外にないのです。

週末から友人、仲間に声をかけて、
義援金を募ることを計画しています。
もちろん秋山立花からも、僕個人からも義援金をだします。

わずかかもしれませんが、
僕らの思いや願いをこめて、
被災地の受け入れ態勢が整い次第、送金したいと思います。

このような状況下だからこそ、
ひとりひとりがお互いに思いやりと心づかいをしながら、
冷静に、そして忍耐強くならなくてはなりません。

今後も被災地の状況を注視しながら、
僕にできることをしっかりとやる、
そして友人や仲間とともにできることをしっかりとやる。
ということを肝に銘じて日々を過ごします。

最後に、お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

寒い寒いと思っていたら、
窓の外には雪がひらりはらりと舞い散っていた。
思わずやれやれと考えてしまうあたり、
大人になったんだなと妙な感慨にひたる。

そうなんです。
雪をみて、電車の運行は正常だろうかとか、
足下危ないから気をつけないとなとか考えるたび、
もうこどもじゃないんだな、僕も大人になったんだなと気づかされます。

今朝も外では近所のこどもたちが歓声をあげながら、
帰るまでに積もったら雪遊びしよーよ。とはしゃいでおりました。

しかし、そこらへんは無情なもので、
午後になれば雪から雨に変わり、
うっすらと積もりかけて白くなっていた地面も、
あっけなくアスファルトの色に戻っていきました。

朝のこどもたちの会話をふと思い出しながら、
残念だったね。
積もらなかったね。
と思いつつも、
あぁ、積もらなくて本当に良かった。
とひょうひょうと考えてしまうあたり、
こどもの頃のあの純白の心には戻れぬのかと、
寂しくもあり、悲しくもあり、
でも戻ったら戻ったでめんどくさそうだな、
と思ってみたりするのでした。

しかし、関東平野南部の比較的温暖なこの横浜で、
これだけ雪の日が多いのも珍しいですよね。
どれくらいぶりなのだろう。

夏の暑さもそうでしたが、
どうも昨今は何かと極端に走るようです。
極端から極端へとせわしなく。

もう少しどっしりと腰を据えて、
しっかりとバランスをとらないと、
何事もうまくいかないんじゃないかなと、
生意気ながらにも思うのです。

今日の雪が忘れ雪になるといいですね。
こどもたちには悪いのだけれど。