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仕事柄多くの方々にお会いする機会がある。
いくつの出会いがあったのだろうかと、
昨夏から発注した名刺の枚数を数えてみると1200枚だった。

この枚数が多いのか少ないのかは分からないけれど、
そして、多い少ないということにどれだけの意味があるのかは分からないけれど、
それだけの出会いに恵まれたのだなと思うと、
ありがたい気持ちでいっぱいになる。

特に今月は様々な方と出会い、お話を伺う機会に恵まれている。
京都、埼玉、東京、沖縄、新潟、神奈川と出会う場所も様々だ。

そんな出会いのひとつひとつが僕を成長させてくれていると感じるし、
そんな出会いが様々な出来事に育っていっているのを実感することができる。
本当に出会いに恵まれていると思う。

人と出会い、そして同じ出来事を共有していく中で思う事は
「何事を成すにしても、一人でできることは限られている」ということだ。
人と人同士が協力し合って事に挑むことで、可能性はぐんぐんと広がっていく。

僕が出会いからもらえる最高のプレゼントは、
出会いの数だけ広がっていく可能性だと感じている。

半分を過ぎたあたりから徐々にペースを上げ始め、
残り1kmでぐっとピッチを上げる。
最後の200mは全力疾走で走り抜ける。

ジムで走っている時はだいたいそんなイメージで10kmを走っている。

ただ、いつも「全力疾走」という言葉が気にかかる。
僕は本当に「全力」で走っているのだろうか?

全ての力を使うということは、
その後は力がまったく残っていない状態になるはずだ。
そういうことであれば、僕は全力疾走をしていない。
走り終わった後に歩く力も残っている。
「全力」だと思っていても、実際は余力を残している。

これは何も運動だけではない。
仕事にも言える事だと思う。

自分は全力で仕事をしているかと自問すると、
そうじゃないんじゃないかと思ってしまう。

まだできるんじゃないか。
まだやれるんじゃないか。
そんな思いが沸き起こってくる。

そもそも全力というのはどのような状態で、
全力を出し切った後というのはどんな状態が待ち受けているんだろう。
そんなことを考えると、
全力というのが分からなくなってくるし、
全力というのが少し怖くなってきもする。

一体自分はどこまでやることができるのか。
答えはいつも分からない。

「全力を出せ!」
「自分の限界を決めるな!」
という言葉を見たり聞いたりするけれど、
本当に不思議な言葉だと思う。

だいたいにして、
自分の全力がどれほどのもので、
自分の限界がどれほどのものかもわからないのだから。

仕事への姿勢ひとつとっても、
日々課題が見つかるし、反省するところもある。

そんな毎日をおくっていると、
いつまでたっても全力じゃない気もするし、
限界なんてそもそも決めようがない。

本当に難しいことである。

結局のところ、僕にできる事と言えば、
毎日少しずつだけでもいいから、
着実に成長していくことだけなんだろうなと思う。

先月に完成した平成二十二年度版事務所小冊子ですが、
このひと月で多くの方にお問い合わせいただき、
多くの方からお褒めの言葉をいただきました。

本当にありがたいことだと、身にしみています。

こうして事務所を続けていくことができるのも、
みなさんのおかげなのだなと感謝せずにはおれません。
胸の心からあたたかな気持ちが広がっていきます。

秋山立花を立ち上げてからというもの、
人はひとりでは生きていけないということを
深く深く教えていただいています。

肉体的な成長は齢20も超えればとまってしまうかもしまうのかもしれませんが、
その気になれば、心の成長はいつまでたってもとどまるところを知りません。

思いやる心や助け合う心。
もっともっと心の成長をしたい。

秋山立花という若木にみなさんがかけてくださった水をしっかりと吸収して、
枝葉を力強く伸ばしていかなくてはなりません。

これからも秋山立花の「理念」を大切にしながら、
一歩一歩成長していきますので、
変わらぬお付き合いをしていただければ幸いです。

『贔屓』
1、気に入った者に特別に目をかけ、力を添えて助けること。後援すること。
2、後援者、パトロン。

事務所からぶらりと歩いて10分ほど。
ちいさなちいさなお弁当屋さんがある。

定休日の月曜日を除いて、時計の針が12時を回ると、
ぶらりぶらりとそのお弁当屋さんに向かうことになる。

500円玉さえ持っていけば、
栄養バランスがとれたおいしいお弁当を買えて、しかもおつりがくる。
秋山立花全員のお腹とお財布を守ってくれる、心強い味方だ。

メニューが豊富だから、毎日通っても飽きることはない。
ちょくちょく顔を出すものだから、
お店のおばちゃんとたまに世間話をするようになった。

「今日も暑いねー」とか
「事務所、あそこの部屋でしょ?外から見ても分かるわよ」などなど。

お腹も満たされるけれど、心も満たされる。

その隣にはこれまたこじんまりとした和菓子屋さんがある。
1週間に1度くらいの間隔で、梅大福を買いにいく。
程よい酸味、程よい塩っけ、程よい甘さ。
いつもいつも2つにしようか1つでやめておこうか迷うのだけれど、
いつもいつも1つで我慢している。

先週も例のごとく梅大福を買い求めたら、
「これ、おまけでつけとくね」と豆大福をくれた。

右手に梅大福、左手に豆大福。
口の中も、心の中もほくほくになったのは言うまでもない。

本当に素朴で、地元の人しか知らないようなお店だけれど、
「あそこはちょいちょい通ってる贔屓の店でね」みたいな感じで、
長くつきあっていけるお店があることは、
人生にほんの少しだけ、彩りを与えてくれる。

そんなお店では、
物の売り買いだけではなく、心のやりとりがしっかりと根付いている。
秋山立花も見習わなければいけない。

秋分を間近に控え、吹く風もたいそう涼しくなってまいりました。
ひそやかに流れてくるこんな風のことを「秋の声」というのでしょうか。

さて、今日は敬老の日ですね。
夕方からお休みをとって、祖父母に挨拶をしにいこうと思います。

敬老の日だからというのではなく、
日々、思いやりの心を持って接することが大事ではありますが、
何かをするには良いきっかけですね。

人生の経験豊かな方々を敬う日。
敬老という言葉があるということは、
昔から日本にその精神が息づいていたと言うこと。
人を敬う心をしっかりと受け継ぎ、育てていかなくてはなりませんね。

ゆっくりと腰をすえて、
祖父母の声と秋の声に耳を傾ける。
そんな一日を過ごすことができたなら、乙なのではないでしょうか。