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人はひとりでは生きていけないというのは本当にその通りで、
それは職業にも言える事だと思う。

「建築家」なんてものはその最たるものなんじゃないかなと、
個人的には思っている。

なんにせよ、まずは設計を依頼しようというお客さまがいないと、
そもそもが成り立たないわけだけど、
実際に建築を施工する職人さんたちや、
確認申請をチェックする役所の人、
同じ建築家でも構造の建築家と設備の建築家、
建材メーカーの人たち、
もっと言うとガスや電気の会社で働く人たちなどなど。

どんなに小さな建築物でも、すごい数の人が関わってできているわけです。

建築家がひとり、事務所の椅子にふんぞり返っていても、
ようは、何もできない。

とある少年漫画の主人公がこんなことを言っていた。

「おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!!!
航海術も持ってねェし!!!
料理も作れねェし!!ウソもつけねェ!!
おれはたすけてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!」

そう、だから仲間が必要で、仲間が大切なのです。

僕がいま関わっている、ひとつひとつの建築もそうだし、
「81年会」や「富士十字プロジェクト」や「子育て支援事業」も
仲間がいるからこそやれている。

僕ひとりではない、みんなの力が必要だ。
秋山立花の力の源泉は、そんな仲間たちだと思う。

81年会による被災地支援「富士十字プロジェクト」の続報です。

来る11月5日に宮城県亘理町に81年会が乗り込みます。
今回の目的は大きく3つ。

1、亘理町漁業への支援
亘理町名産の「はらこめし」を食べに行きます。
現地の名産を現地でいただく。まずは少しでも被災地にお金が落ちるようにします。
12月中旬まで楽しめるので、
現地の方と協力して「お取り寄せ」ができるように整備できれば良いなと考えています。

2、野球で笑顔を届けよう
被災地では野球道具が流されてしまって、野球ができない人たちがいます。
そこで、野球道具を持って行って、現地の方と交流試合をします。
野球に限らず、スポーツで体を動かすのは気持ちの良いものです。
良い気分転換になってくれればいいなと思っています。

3、経営支援の打合せ
富士十字プロジェクトの「芯」は被災地の同世代経営者を支援することです。
経営の支援、雇用の問題、これからできることがたくさんあります。
僕らはこの問題に対して、日頃から培っている知識と知恵で向かって行きたいと思います。

この他にも、81年会のメンバーから、
仕事道具が流されてしまった職人さんのために、
中古の道具を送ってもらえるよう、建設業の方々に呼びかけたり、
灯油の消費量を減らすために「燃料活性触媒」を提供したりなど、
みんなの力でできる範囲の支援をしようという声が上がってきています。

まずは現地との下打合せのために、10月中旬に亘理町を訪問します。
その時の打合せの内容も反映させながら、11月5日を実りあるものとします。

ということで、アラウンド81年生まれのみなさん!
自分もぜひ参加したいという方は、秋山立花までご一報ください!
特に、野球経験者のかた大歓迎です!

ずいぶんと寒くなってきましたね。
僕は寒いのが大層苦手なので、これから迎える冬のことを思うと、
はやくも夏が待ち遠しくなってしまいます。

ところでみなさんは寝ている時に「夢」って見ますか?
僕は必ずと言っていいほど見ます。
しかも、かなり鮮明に見る事ができます。

大抵は仕事に関連した夢なのですが、
中にはいったいぜんたいどうしてこんな夢を見たんだろう、
といぶかしく思うほど奇妙な夢も見ます。

割合としては6割が仕事の夢。
3割が野球の夢。
残りの1割が奇妙な夢。といったところ。

ちょうど7ヶ月前の3月3日に見た夢のことをノートに書き残していたので、
今回はそれをそのまま載せたいと思います。

今思っても不思議というよりは奇妙な夢でした。

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草原に象の群れがあった。
あたりはすっかり夜の闇に包まれていたけれど、
不思議なことに草原の緑とその象の群れだけはくっきりと見る事ができた。

草原はどこまでも続いていて、ところどころに茶色い丘があった。
遠くの方で草原の緑と夜の闇が入れ替わっていた。
その境目は混じり合う事なくくっきりと、一直線に伸びていた。

象というとまっさきに思い浮かべるのが動物園にいる象だけれど、
目の前にいる象たちは、いままで見たことのあるいかなる象と違っていた。
それは、圧倒的に巨大な象だった。
ただ大きいのではない、圧倒的に巨大なのだ。
一頭一頭が街の一街区くらいありそうだった。

象の体はごつごつとした灰色で、それは岩石を思わせた。
実際に象なのか岩の塊なのか判別に苦しむくらいだった。
ただ、象からは無機物からは感じることのできない
生命力のようなものを感じることができたし、
時折まばたきをすることから、どうやら生きている象らしいということがわかる。

象の目はその巨大な体からすると不釣り合いなくらい小さなもので、真っ赤だった。
透明感はない。どこまでも濃く、凝縮された赤だ。
なにものもその瞳には映らないので、果たして見えているのかどうかは分らない。

象たちはまばたきをする以外には身動きをすることはなかった。
寒さに耐えるペンギンの群れのように、一頭一頭が隙間無く寄り添って、
ただじっとしていた。

象はどこから来るのか分らないけれど、
気がつくと一頭、また一頭と増えて行く。
象たちはなんの音もたてることなく突然あらわれて、群れに寄り添った。

群れを構成する頭数が30を超えだしたころから、
象の背中には人間が姿を現しだした。
人間は湧いて出るように次々とその人数を増やした。

男たちはそうする事が当然だという感じで、
象の背中にコンクリートの基礎を築き始めた。
作業は黙々と進められた。
まずは家ができ、次に学校ができた。
しばらくすると公園までもが作られた。
象の背中のあらゆる場所で、あらゆる人間が街をつくっていった。

街づくりが一段落すると、人々は日常の生活を始めた。
そこではこどもでも大人でも学校に通う事になっているようだった。
働く場所みたいなものはなかった。

眠り、目覚め、学校へ行き、家に帰り、また眠った。
同じような生活がいたるところで同時に行われていた。

人口は着実に増えているようだったし、象の群れも着実に増えていた。
新しく群れに加わった象の背中でも人々は街をつくり、そして住んだ。

同じような日常が繰り返し繰り返し現れては消えた。
昨日と明後日の区別も3年前と今日の区別もつかないくらい、
まったく同じことの繰り返しだった。

それでも人々は幸福そうであったし、
着実に街も成長していった。

ただ、彼らが住んでいるのは象の背中なのだ。
彼らの生活のすべては象が握っているのだ。
果たして、彼らはそのことを知っているのだろうか。

象たちは時折まばたきをした。
その濃く赤い目で何を見ているのかは分らない。

橘と流水を組み合わせた秋山立花のロゴマーク。
みなさんからの評判もとても良く、僕の力になってくれています。

そんな素敵なロゴをデザインしていただいたのが、
イラストレーターの加藤朋子さん。

今夜は加藤さんの作品展のオープニングにお邪魔してきました。

「締めのごあいさつをする加藤さん」
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「加藤さんがデザインした東京住宅供給公社のマスコット、キボウズくん」
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4年前になりますが、当時まだ僕がとある設計事務所に勤めていた時、
同じビルの同じフロアで活動をなさっていた加藤さん。

独立するにあたって、
事務所のロゴをつくろうと思った時、
まっさきに頭に浮かんだのが加藤さんでした。

僕の思いや願い、言葉をしっかりと聴いてくれて、
想像を超える素敵なロゴをデザインしてくれました。

そんなデザインもさることながら、
人間的にも素敵な加藤さんの作品展は、
10月9日まで、横浜山下町にあるcafé FLOWERにて開催されています。

株式会社ファブリッジの諸井さんが主催している
内定を目的としない就活塾」というものがある。

ご自身が新卒採用をされた時に、
何をやりたいのか、何ができるのかということを
自分で分っていない学生たちが
あまりにも多かったという経験から、
危機感を持って始められた非営利の塾である。

昨年の10月から開催しており、今は第3期。

先日、
その3期生の最終模擬面接のゲスト面接官にと呼ばれたので、
出席をさせていただいた。

ゲスト面接官は僕を含めて17名で、
そのほとんどの方がご自身の会社を経営なさっている。
対する3期生は12名。

学生だろうが、社会人だろうが、経営者だろうが、
その人が真剣に考えた言葉や考えを聴くという事は、
本当に勉強になる。

内容の仔細は割愛するけれど、
自分にとっても良い経験になったし、
大変有意義な時間を過ごさせていただいた。

これだけのことをなさっている、
諸井さんの情熱と行動力は本当に凄いなと思う。

面接の総括の時に、
「僕にも10年前、20歳のころがありました」
と切り出して、少しだけ自分の経験を話した。

僕はいわゆる就職活動というものを経験したことがない。
バイトに行っていた小さな建築設計事務所にそのまま入って、
3年後に独立した。

人生の進路を決める時に悩んだりしたこともない。
もちろん、考えはしたけれど悩んだという記憶はない。
自分の考えるままに生きてきた。

なので「就職氷河期」とか「自分探し」という単語を見かけても、
自分の実感として感じる事はできない。

これは良い悪いということではないし、
自分のことを自慢したいからという訳でもない。
僕が考え、実践してきた秋山怜史という人生の中に、
そういうものがなかったというだけである。

それは本当に幸運なことなのだろうと思うし、
一方で「それだけのことをやってきた結果である」
ということでもある。

学生たちへのケーススタディとしては、
はなはだ不十分のような気がするけれど、
以前のブログに「独立の経緯」を書いているので、
時間があれば読んでみてもらえるとうれしいなと思う。

僕のこれまでの人生は、
純粋に、考え努力する事で成り立っている。
才能の有る無しではなくて。

そして、この考え努力する事が、
人生を切り開くための唯一無二の武器だと思っている。

もちろんその前提として、
どんな時でも正々堂々と、誠実に。
ということが重要であることも書き加えておきたい。